24.教育と研究

教育に生かせる研究とは

 研究とは、「ある特定の物事について、人間の知識を集めて考察し、実験、観察、調査などを通して調べて、その物事についての事実を深く追求する一連の過程のこと」である。それを教育に生かしていくためには、研究の本質を理解していくことにより、教育との結びつきを考えていかなければならないと考える。 
 本レポートでは、教育に生かせる研究を考えるに当たり、まず、研究という大本の部分について突き詰めて考えていく。研究を進めていくのに重要な過程である、「実験」「観察」「調査」と教育の関係性を見ていくことにより、研究と教育の共通点などを見いだし、いかにして研究を教育に生かしていくことができるか、また、教育に生かせる研究とは何か、について考察を深めていきたい。

 「実験」と「教育」

 実験とは、「構築された仮説や、既存の理論が実際に当てはまるかどうかを確認することや、既存の理論からは予測が困難な対象について、さまざまな条件の下で様々な測定を行うこと」をいう。教育というものは、、日々実験の繰り返しである。対象である児童生徒は人であるため、実験という言葉は適さないかもしれないが、教師の対応がその児童生徒に対して適切であるか不適切であるかは、その児童生徒の身体的要因や環境的要因などにより異なってくると思われる。不適切な対応をしてしまえばすぐに誤りを訂正し、その上で適切な対応が求められる。また、ある児童生徒には適切な対応であったとしても、他の児童生徒には不適切な対応となってしまう場合も考えられる。それらの「実験(教師の経験といってもいいかもしれない)」によって、より「適切」ものに近づけていくことが求められる。そのためには、日々の対応に関して「内省」を加えていかなければならないであろう。いわゆる、PDCAサイクルを回していくことが求められる。
 一つの結論として、研究とは「試す」ことが必要であり、それらを元にして考えていくとすれば、教育に生かせる研究のキーワードとして「試行」というものが挙げられるであろう。

 「観察」と「教育」

 観察とは、「対象の実態を知るために注意深く見ること。 その様子を見て、その変化を記録すること」をいう。言うまでもなく、教育では観察が重要である。観察の対象は当然児童生徒である。観察というと、「対象者を注意深く見る」というだけにとどめてしまう教師も多い。「きちんと見て(観察して)いたんですが、こういうことになってしまいました。」という言い訳は残念ながらどの現場でもよく耳にするだろう。観察で重要な点は「観る」という行為そのものではなく、「観ていた」結果、その児童生徒がどう変わっていったかを理解し記録することがより重要なのである。例えばいじめや虐待が疑われるケースなど、その児童生徒のことを正しく観察することができていれば、少しの変化にも気づくことができるであろうし、それによってより迅速な対応をとることができるはずである。
 研究では「変化に気づく」ことが重要である。教育の現場においても、児童生徒が「変化」することを見逃してはならない。2つ目のキーワードとして「変化に気づく」ということを挙げたい。

 「調査」と「教育」

 調査とは、「物事の実態・動向などを明確にするために調べる」ことをいう。研究では、例えば統計法などの調査が有名であるが、教育の現場でもこの調査という言葉は多く使われている。最近で一番有名なものといえば「全国学力・学習状況調査」であろう。教育現場でなぜ調査が必要かという理由は明白である。児童生徒のことを正しく把握するためである。家庭調査であれ学力調査であれ、児童生徒一人ひとりについて「調査」することにより、児童生徒に個別的な対応をすることができる。「調査」というとプライバシーの問題や手間の問題から、どちらかといえば教育現場では過剰に取り扱われることがあり、「触れてはならない部分」なども存在する。実は非常に重要な点なのである。最近は、家庭環境の複雑化などから、例えば両親の職業など、より詳細な家族の個人情報を聞かない傾向にある。例えばある児童が翌日も同じ服を着てきた、などといえば虐待の傾向がある、などと先走ってしまう教師がいたりするが、実は父親母親両方とも夜勤の仕事をしていて、たまたま服がなかったから同じものを着てきたなどということだってあり得るわけである。これは正しく家庭環境を「調査」していないために起こる誤解である。やはり研究であれ教育であれ、「調査」を正しく行い、その結果を適切に取り扱うことは大変有用であり、教育の観点からいえば調査することにより、よりきめ細やかな「個別的対応」をすることができる。これを3つ目のキーワードとしたい。

研究の流れと教育現場の流れについてキーワードから考える

 研究と教育の関係性を見ていく中で、「試行」「変化に気づく」「個別的対応」といったキーワードを挙げた。それぞれを挙げてきた経緯は先に述べているが、ここではある事例を元に研究と教育のあり方について考えていきたい。
 小学校6年生のAくんは、毎日元気に通学していた。ある日、いつもなら休み時間真っ先に運動場へ出て行くAくんが、今日は元気なく机に座っている。(変化に気づく)教師が「どうしたの?」と聞くが、「何にもない。」の一点張り。変化に気づいている教師は、Aくんと「教室の外で話そうか」と誘い出し(試行)、落ち着いた場所で話を聞くことにした。(個別的対応)
 一事例であるが、研究の流れと教育現場の流れが非常に酷似していることがわかる。教育に生かすことができる研究に関してのヒントが隠されているようにも思われる。

考察~教育に生かせる研究とは~

 先の事例にも述べたように、研究と教育の関連性は非常に密接だといえる。教育に生かせる研究とは、「教育現場で起こっている事実を的確に捉え、試行し、それらに対して徹底的な観察を行い、個別対応できるくらいの詳細な調査を行うこと」ではないかと私は考える。
 教育現場で起こっている事実は不適切事例も含め数多く存在する。まずはそこに目を向けること、ここが一番最初であると考える。冒頭にも述べたが、対象は児童生徒である。教育に没頭することは決して悪いわけではないが、その没頭するという行為の中にも研究という概念が入っており、そこがおざなりになってしまえば、せっかくの熱心さも隠れてしまう形となってしまう。
 最後に、教育現場で起こっている事実に目を向けることができていない事例として、杉山登志郎「子ども虐待という第四の発達障害」の中に書かれている一文を引用して、このレポートを終えたいと思う。

 「学校の管理者が、「我が校には虐待児など一人もいませんと断言されることがある。「じゃあこんな子はいませんか。何日も服を替えてこない。ふろにきちんと入っていない。落ち着かなくて、気分のむらが激しい。だれかれかまわずべとべと抱きつくが、ちょっと注意すると切れて大暴れをする。暴れた後や、しかられた後、ぼぉっとしてしまう。感情のこもっていない人形のような目で人を見つめる。弱いものいじめを繰り返す。給食をがつがつ食べるが太らない。すると、「そんな子はいっぱいいる」といわれるのが常である。「今述べたようなものが虐待児の特徴です」と言うと、驚いて考え込む。」

参考文献:広辞苑 第六版 2008
     杉山登志郎「学研のヒューマンケアブックス 子ども虐待という第四の発達障     害」学習研究社 2007