Ⅱ なにより、でないが、とても、大切なもの(p91)
1 ためらいがあったもの
「自立運動」は、日本が先か、米国が先かということは問題ではないとは先ほど述べたが、多くの共通点があるこれらは同じだったのか。
これは微妙である。
米国:自立=自己決定
日本:自立と自己決定は違う?粗雑に扱われている。
「自己決定」というキーワードについて考えてみる必要がある。
2 なにより、ではない。(p93)
「自己決定すること」は常によいことではないし、第一義的に大切なことでもない。
→現代は「自己決定主義」と呼びうるものがあるが、「なぜそれがよいのですか?」
決定しないことの快(「いたれりつくせり」「よきにはからえ」)や、積極的に決めない快(全て決めることができれば退屈になる)もあるのでは。
3.が、とても大切なもの
しかし、「自己決定」は肯定される。
なぜ自立は指示されなければならないのか
なぜ自己決定は尊重されなければならないのか
A.ある人がある人の生きようを決めてやっていくということ自体が、その人が在ることのその一部を構成するものだというもの。
→その人の存在を認めるのなら、その人の自己決定(しないということも含めて)も認める。B.それが自分にとってよいからというもの。
(契機により二つに分けられる。)
B-1.自分にとってよい状態を自分が知っているという単純な事実があり、それに合わせた決定に基づいて決めてもらったら、それが当人にとっては一番だというもの。
B-2.自分の生活を防衛するためにやむをえず自分で決めていくことが必要であるというもの。それは、決定や生活を他人に委ねてしまうと、多くの場合、その他人(達)は自分に都合のよいように振る舞うから、その当人は損をするということである。
4.自立することを教える?(p95)
「教える」という視点
「自己決定としての自立」に押しつけがましいといころはないだろうか。
「自己決定する人であること」を求めること自体が押しつけではないだろうか。
「知的障害」「精神障害」の方に対するパターナリズム(当人の利益のために、当人の決定ではないことを行う)について
1.Bで認めた「本人にとってよい」という前提をとりながらも、B-1が必ずしも妥当しない場合、当人の決定はその当人によい結果をもたらさないと考えられる場合があると言うこと。2.B-2で述べたことに述べたこと、つまり、周囲の人達の利害が入り込むことによって、その人の生活が、その人のありようが破壊されてしまう。「本人のため」という言い方が、実は周囲の者達の都合を通す隠れ蓑に使われてしまうことがおうおうにしてある。
3.AとBの対立を考えるならば、いくら「本人にとってよい」という立場に立とうとしても、結局そのよいことは私(達)が判断するしかないのだとすれば、そのことにおいて、それは他者を破壊する行いではないか。
立岩は「パターナリズムの全部を否定しているわけではない。現実に、パターナリズムの基づく、あるいはそれに類することはいくらでも行われている。」とし、それを言い換えた「できる限り本人の意向を尊重しつつ」という言葉の「できる限り」とはいったいどの範囲なのか、それを少しでもはっきりさせようと試みた。具体的にはっきりとした線は引きにくいとしながらも、自己決定について次のように述べた。
・自己決定できるようだったら、この意味で自立できるようだったら、そのように仕向けた方がよい。その人が自分の利害を主張しないなら、人の言いなりになってしまって、その結果、被害を被ることがあるだろう。(中略)また、多くの場合よりよい人生を送ることができる。従って、自己決定を学んでもらう。(p97 l6-)
・同時に、それを正義として教えないことにおいて、あくまで有効な手段として示すことにいいて、人のあり様を規定すべきでないというAの条件に抵触しない。自己決定のための技術を自分の生活のために、約立つから覚えておいた方がよいということと、それが「人間として」当然のことであり、それができないようでは人間としての価値がないと教えることとは違う。
(p97 16~p98 l1)
とはいえ、微妙なところもある。(p98 l5)
「自立生活プログラム」では、自分で決めることの価値が言われる。それが、自分で決めることがそれ自体として価値があるのだという特殊な価値観、特定の生活様式を押しつけることになってしまう場合もあるかもしれない。
→しかし、あとはあなたの勝手だから、他人にいちいち指図を出して自分の意を通すこと、その方法を覚える、気がねをしないということをひととおり覚えておくことは役に立つことの方が多いと思う。
「自立」のコスト(p98 l10)
「職業自立」「ADL自立」は、その「自立」のためのコストが無視されてきたことが批判の対象となってきた。これに対して自立決定としての「自立」には、それほどコストがかからないかもしれない。しかし、場合によっては相当の負担になることもあるだろうし、結局達成できないこともあるだろう。「エンパワメント」の重要性。
まとめとして(p99 l9)
自己決定することの大切さだけをいうと、自己決定しないことの気持ちよさを無視してしまう。また、自己決定の限界だけを言っていると、「では私達に任せなさい」といった言説にからめとられてしまう。両方からの距離をともに言っておくことは大切なことだと考える。