はじめに(p79)
立岩の考える障害学
それぞれの立場において学問が成立する、それは仕方がないことだが、それ以外の「学」が成立しないのではない。ことに障害学においては、「利害から離れて調べること、ゆっくり考えること」
「自立」について
1.歴史的事実の間違いを正す
2.自立、自己決定について確認すべきことを確認する
Ⅰ 抹消された歴史について(p80)
1.あったことが忘れられる
疑問「あったこととは何か?」「何が忘れられたのか」
自立の考え方の変遷
「職業的自立」から「ADL自立」、そしてここで検討する「自立」について
ここで検討する自立とは
「身辺的自立や経済的自立の如何にかかわりなく自立生活は成り立つ」という新たな自立観
→自己決定権の行使・・・障害者がたとえ日常生活で介助者のケアを必要とするとしても、自らの人生や生活のあり方を自らの責任において決定し、また自らが望む生活目標や生活様式を選択して生きる行為を自立とする考え方であり、これは端的には、一回限りの自らの人生を障害者自らが主役となって生きること、すなわち、生活主体者として生きる行為を自立生活とする理念である。(定藤)
定藤丈弘 1976年に事故で障害者となる。
関西学院大学大学院修士課程修了
大阪府立大学教授
1999逝去
それらが元になる考え方が、米国で1960代に始まった自立生活運動である。(p91 l7)
米国の自立生活に関する論文
自立生活とは、決定を下したり、日々の暮らしで他者への依存を最小限にするという、受け入れ可能な選択に基づいて、自分の生活を管理すること。これには身の回りの処理、地域での日常生活への参加、社会的役割の遂行、自己決定、身体的及び心理的に他者への依存を最小にすること等が含まれる。
自立生活とは、機能的自立を育てるプログラムに依存することではなく、自分が住む生活様式を選び、そのように暮らす能力と、社会で自由に活動する能力に基づいている。 など
ただし、同論文には、「全員がここで述べられている意味での完全な自立に到達できるわけではない、ということである。あることに関して自己決定ができないか、或いはしない人もいるかもしれない。そのような場合には、自分で或いは制限により、一種の修正された自立生活、限界のある自立生活、あるいは半自立生活をしている、ということになる。(Independent Living Research Utilization , Independent Living Glossary)」という自立に対しての「自己決定」に関しても述べられていることは面白い。
日本でも1980年代初頭から自立生活に関してかなりの数の報告、論文が出ているが、いずれも米国の事情を紹介したものにとどまっている。(p82 l7)
「自立生活はアメリカのIndependent Livingの訳語である」(原田)
「『自立生活』は、元来、1970年代のアメリカでめざましい発展を遂げた。障害者自身の主体的な運動”Independent Living Movement”に端を発した用語で、その基本理念である”Independent Living”の日本語訳である」(三ツ木)
米国の事情紹介ばかりが出ているが、実際日本ではどうだったか。実は日本でも「自立」「自立生活」に向かう運動はあった。(p83 l7)
1970~72 にかけて、「独立」そして「自立」という言葉が使われ始める。
「最近では独立して生活する、かなり重度の脳性マヒ者が増え・・・」(「青い芝」83号 1971年3月)
「園(東京久留米園)での生活訓練により社会性を身につけて、好伴侶と共に、または独身のままでも、民間アパート・公営住宅などの独立した生活に入っていく人が大勢おります」(横塚『あゆみ』12号、1971年3月)
1972年12月
「自立障害者集団姫路グループ・リボン」(当事者組織)
1973年1月
「自立障害者集団友人組織グループ・ゴリラ」(健全者組織)
などが関西において結成され、ここでも「自立」という言葉が使用されている。
また、「自立生活」という言葉も1970年代中盤より使われ始める。(p54 l14)
1976年結成の「全国障害者解放運動連絡会議」の「よびかけ」には「障害者の自立と会報」という言葉がある。また、1979年に創刊される「そよ風のように街に出よう」は、その表紙の雑誌名の下に、「障害者の自立と解放のねがいと、全ての人たちの生活と思いを結ぶために」と記されている。
よって、日本における「自立」「自立生活」という言葉は、米国の運動をこの時点で知って使ったわけではなく、こうした運動は世界同時多発的に起こったのである。(p85 l8)
けれども、「文献」にはこうした動きについては、まったくではないにせよ、ほとんどなく、80年代以降の日本の自立生活運動の同行が紹介されるときにも、70年代から変化しつつ引き継がれていった動きはほぼ除外されてしまう。
→「はじめに」にある、「歴史的事実の間違い」
2 どのように抹消されたのか(p85 l14)
「自立とは・・・」とはっきりと定義され、体系だったかたちで語られていなかったからか。
だから論文などにも残らなかったのか・・・。
しかし、その主張は曖昧なものでなく、むしろ、はっきりしており、簡明である。
親元を離れ、施設でない場所で、自分が生きたいように、介助が必要ならそれを得て、暮らす。
そしてこれが、「職業自立」「ADL自立」を意味しないこと、それを至上の価値とすることを批判したものであったことも明らかである。
では、「自立運動」からの視点ではどうか。日本に「自立生活センタ-」と呼ばれる組織が本格的に表れるのは1980年代後半以降であり、この時に日本の障害者達は米国の障害者達の方法論、組織論を摂取し自らに取り入れた。このことは認めてよい。ただ、この議論は、日本と米国とどちらが早いといったことを言いたいのではない。問題にしたいのは、存在するものが不在にされてしまった機制である。(p87 l15)
抹消された経緯について話を戻す。
まず、その運動(自立生活運動)は米国事情を紹介した文章を書いた人達と別の所にあった。(p87 l17)
論文を書いた人(研究者・専門家)・・職場とは別に、障害者の全国的な組織、地域の組織の活動に関わっていた。
「自立生活」を言った人達・・全国的な組織などとのつながりから外れたところにいた。
また、「自立生活」を言った人達は、施設を批判し、専門家を批判したため、研究者が容易に立ち入ることができなかった。合わせて、「過激」な運動体とみなされ、施設の整備、養護学校の義務化等の「進歩的」な政策を明確に批判の対象とした。そしてその運動は、障害者に関わる社会運動のもう一つのより大きな部分(養護学校義務化賛成に回った勢力)に明確に対抗するものであった。
研究者・専門家が「政治的」で「具体的な」対立、抗争に巻き込まれるより、「外国」から「理念」が入ってきて、それを日本でも取り入れようとする物語、あるいは取り入れられたという物語を語る方が容易であるのでは。(p89 l1~5)
→これが「抹殺された理由」ではないか。
しかし、滑らかな物語から逃れて、あったこと、あることを調べることの必要性。もう一つは、最初から考える必要性を立岩は述べている。