24.教育と研究

自閉スペクトラム症児者と保護者が感じる「暮らしにくさ」について ~社会資源の活用の視点から~

<はじめに>

 本研究では、自閉スペクトラム症児者と保護者が日常生活に感じる困難さとその解決についての考察を深めていきたいと考えている。
 ここで言う自閉スペクトラム症児者とは、「独特な行動パターンを示すことが多く、社会的相互作用やコミュニケーションスキル等に関して幅広い問題がある」*1児者を指し、とりわけ「独特な行動パターン」や、「コミュニケーションスキル等に関して幅広い問題」が生じることにより、日常生活において困難を感じる場面が多くあると筆者は考える。

筆者は、大学卒業後、1999年から2007年まで、障害者に対するホームヘルパー・ガイドヘルパーを派遣する事業所に勤務していた。当時より障害者と関わっている中で、さまざまなバリア(ハード面ソフト面ともに)が存在しており、支援をしている中でこれらの改善などを求めていったが、思うように事は運ばなかった。
 しばらく臨床フィールドを離れており、最近フィールドに戻った時、当時とほぼ状況が変わっていないことに気づいた。当時に比べると法整備もされているはずであるが、変化がないと感じたのは、特に知的障害や自閉症児等発達障害と呼ばれる人たちの生活についてである。この研究を行う一つのきっかけとなった経緯である。

 「暮らしにくさ」とは何か、これはそれぞれの自閉スペクトラム症児者にとって考え方が異なるものであり、私たち健常者にとっても「暮らしにくさ」を感じることさえある。一人ひとりにとって「暮らしにくさ」がある、果たしてそれが障害によるものなのかどうか、また、自閉スペクトラム症児者であるから感じられるものなのかどうかについて研究を進めていくことにより、教育的視点に役立つことではないのではないだろうか。

 さて、近年、「バリアフリー」という言葉が一般的に使われるようになった。曽和は、「バリアフリーとは、もともとは国際的に1970年代から使われ出した建築用語で、障壁を除去し、生活しやすくすることを意味したもの」であり、「その当初において、建築物や道路の段差の解消に見られるように、身体障がい者、高齢者、妊婦などが行動する際に妨げとなる物理的障壁の除去の意味あいで用いられたもの」*2としている。また、「その物理的障壁が除去されることと相まって、障がい者などの社会への完全参加を困難にしている制度的障壁(障がいを欠格条項として、資格取得に制限を設けるなどの障壁)、文化・情報面の障壁(点字、手話、音声案内、字幕やわかりやすい表示の不備といった障壁)、文化・情報面の障壁(社会的偏見、差別意識や先入見など)を除去しようとすることへと発展した取り組みである)と述べている。

しかし、実際の「バリアフリー」の概念は、身体障害者や高齢者のみならず、誰しもが生活しやすい場を作り出していくことと考えられている。しかしその反面、実際そうなのだろうか。橋本は、「知的障害者と呼ばれる当事者が、自分が「わからない」ので「困る」または他の人が「分からない」ので困るという経験をしいられ、「不条理な苦痛」を負わされることが多いことにあらためて気づいた」とし、「この《自分が「わからない」ので「困る》または《他の人が「わからない」ので「困る」》という経験、あるいはその両方を誰かがして、その人が自分の知的分野についての特性(《知的特性》と略す)の結果として「不条理な苦痛」を負わされる状況を《知的バリア状況》と定義する。」としている。*3バリアフリーという言葉は存在しても、それが本当に機能しているのか、特に知的障害者にとっては「不条理な苦痛」をしいられているのではないか、その中に知的障害者の「暮らしにくさ」を見いだすことができる。
 また、明石は、「地域社会の中に「理解者・支援者」が少ないように思う」とし、「足の不自由な方の車椅子の役目は、知的障害や自閉症等発達障害の方にとっては、「人」になります。車椅子で自由に街に出ることができるため、段差解消やエレベータ設置等々、街を構造化するという支援方法(物理的バリアフリー)があるのと同じように、知的障害などがある人にとって暮らしやすい街づくりには、支援する人の存在が欠かせない。」*4とも述べている。知的障害や自閉症等発達障害にとっては、支援の不足が「暮らしにくさ」を生んでいるとも言える。
 バリアフリーという言葉が、身体障害者や高齢者が移動しやすいために使われることが多いと先に述べた。具体的には、駅にエレベータがついたり、信号機に音声案内がついたりするようなものである。では、それらが自閉スペクトラム症に対して「バリアフリー」なのか、というと、信号から音がすることによりパニックを起こしたり、エレベータの音声に反応し、急に走り出してしまったりするかもしれない。楠は「感覚過敏の問題も相まって、雷の音や救急車のサイレンなどが聞こえると恐怖や不快感から泣き叫び、一晩中全く眠ってくれないこともある。」*4という。すなわち、「バリアフリー」というのは必ずしも皆に対して「暮らしやすい」ツールではないということである。
 また、「ユニバーサルデザイン」という言葉もある。「ユニバーサルデザインの考え方は、アメリカ合衆国のノースカロライナ州立大学の教員であり、”ユニバーサルデザインの父”とよばれたロン・メイスが提唱したもの」であり、「その考え方は、障がいの有無、年齢、性別、人種などにかかわらずに、多様な人々が気持ちよく利用できるように、前もって街づくりや生活環境をデザインしようとするもの」であるとしている。*2

これも例えば、背丈を低くして「ユニバーサルデザインに配慮したデザイン」と謳っているものは身長の高い人にとって逆に使いづらくなっているケースがあるなど、物によっては一方を立てると一方が不利益を被るため、完全なユニバーサルデザインは難しいとされている。
 このような中で、自閉スペクトラム症である本人や支援する保護者などはどう感じているのか。楠は、「自閉症児の場合、こだわりの強さや頻繁なパニックなど、定型発達児よりも保護者にかかる心身への負担は極めて大きい」とし、「初めての環境や広い場所では落ち着いてじっとしていることができずに走り回るなど、多動性が顕著に現れる子どももおり、一時も目が離せず、保護者が疲労困憊してしまうこともしばしばである。」*5としている。自閉スペクトラム症を持つ保護者にとっても、環境整備が必要である。
 このように、全ての人が「暮らしやすい」環境を作ることは非常に困難を極めることである。だからといって、「暮らしやすさ」を追求しなくなるということも避けなければならない。
 今回の研究においては、特に自閉スペクトラム症が、どの場面で、いかに「暮らしにくさ」を感じているか、「暮らしにくさ」を知ることにより「暮らしやすさ」に近づけていくことができるかどうかを、アンケート、インタビューを行っていくにあたり、障害者が「暮らしやすい」社会とはどのようなものか、そして本研究を通じて、障害児者の生活がよりよいものになることを本研究の目的としたい。

*1 半田健他(2014) 自閉症スペクトラム障害のある幼児に対する機能的アセスメントに基づいたソーシャルスキルトレーニングの効果 障害科学研究 38, 175-184, 2014-03-31
*2 曽和信一(2013)「障がい児保育を支える理念についての一考察」四條畷学園短期大学紀要 46, 6-13, 2013-05
*3 橋本義郎(2010)知的バリアフリーのための一歩として:知的バリア状況の検討,国際研究論叢23(3):59~74,2010
*4 明石洋子(2009) 知的障害などがある人が暮らしやすい街に~心のバリアフリーを願って~ 福祉のまちづくり研究 11(1), 2-7, 2009-07-15
*5 楠 凡之(2011)発達障害児への保護者の抱える困難さへの理解と支援 月刊福祉94(11): 38-41